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創業当時のApple社のロゴはニュートンだった!

創業当初、Appleのロゴは、「第三の共同創業者」と言われるロナルド・ウェイン氏がデザインした、ニュートンがリンゴの木の下に座っているというデザインでした。

現在のSimple is bestのアップル社とは思えないようなデザインですね。

当然スティーブン・ジョプス氏はこれを良しとせずすぐにデザインを変更します。

当時シリコンバレーのマーケティングコンサルティング会社、レジス・マッケンナに就職したばかりのロブ・ジャノフ氏が現在のAppleのロゴデザインを担当しました。


ジャノフ氏は、Appleのロゴはこれまでデザインした最高の作品で、このロゴを上回るものはないと、デザインから40年経った今も最高傑作であると胸を張りっています。

社名とロゴの由来

ロゴの意味の所説として

  1. スティーブ・ジョブズ氏が菜食主義社で、北カリフォルニアの牧場で生活していた経験から、リンゴが完璧な食品だと考えていたという説。
  2. ビートルズのファンで、ビートルズの所属していたアップルレコードからつけたという説

ただし2番についてはロゴ制作を担当したロブ・ジャノフ氏が「契約書にサインする前日、会社名の候補リストの中で、最高の名前がAppleだった」「ウォズニアック氏が、(ビートルズの所属する)アップルレコードに訴えられることを心配して止めたものの、Appleに決定した」と、語っていますが、後日、Appleはアップルレコードと裁判で争うこととなりました。

こういった経緯を考えると、ファンであるのに所属事務所と争うかもしれない社名はつけないでしょう。むしろビートルズの名前から引用する方が普通です。

人間が再び手にする禁断の果実

 

リンゴは旧約聖書では知恵の樹から採れる禁断の果実として知られています。

アダムとイブが神様の作った楽園で蛇に扮した悪魔に誘惑されて食べたのが禁断の果実「Apple」だったのです。確かにAppleを食べた私たちの世界は大きく変わりました。

最初の革命は、出版業界と音楽業界でした。

今までの出版業界は活版印刷がメインで、ほんの1990年前半までは1700年にできた手法と同じように写植師が金属製のハンコをひとつひとつ手作業ではめ込みガリ版を作り、印刷していました。

今まではレタリング師が見出し文字を作り、調色師が写真の色を作り、写植師が文字を埋め込み・・・と様々な人の手によって作られていたものがマッキントッシュを使える人が一人いれば作れるという環境になりました。

DTMも同様に作曲後にも楽器を弾ける人、楽器、エフェクター、録音環境、など様々なものが必要だったものがマッキントッシュ1台でこなせるようになりました。

Appleが知恵の果実を食べさせた事により、職を失った人は数多くいます。私としては、写植師の素晴らしい職人技が失われてしまったのは残念でなりません。

人々の職を奪ったAppleの革命はまさに「悪魔」の所業と言えるでしょう。しかし、その進化による恩恵は計り知れないものです。

 

悪魔になることを決意したスティーブ・ジョブズ

スティーブ・ジョブズ氏は学生時代様々な宗教や哲学に興味を持ち、その思想を取り入れ活動していました。

1972年の春、高校も卒業というとき、ジョブスはLSDを試し、麦畑がバッハの曲を奏でるという幻覚体験をし、それを素晴らしい体験であると感じた[11]。2013年の伝記映画『スティーブ・ジョブズ』にも、LSDを服用し麦畑で指揮者になるという場面が登場する[12]。後には、人生でトップクラスというほど重要な体験であると述べ、お金儲けではなく、歴史という流れ、人の意識という流れに、いろいろなものを戻すことを気づかせたとしている[11]

1972年、オレゴン州のリード大学へ進学。大学時代のジョブズはユダヤ・キリスト教・イスラム教・アニミズム・太陽神・思想・坐禅・食事・ヒッピー文化に心酔し、裸足で校内を歩き、一時は風呂に入らない時期もあったという。また、かなりの音楽ファンであり、ビートルズやグレイトフル・デッドなどを聴きまくっていた。

ジョブズは大学に半年間通ったが、興味のない必修科目を履修することを嫌がり、「両親が一生をかけて貯めた学費を、意味のない教育に使うのに罪悪感を抱いた」ために中退した。しかし中退後もリード大学のキャンパスを放浪し、コカ・コーラの空き瓶拾いや心理学科の電子装置修理で日銭を稼ぎながら、哲学やカリグラフィー(西洋書道)など、興味のあるクラスだけを聴講するもぐりの学生として過ごし、合計18ヶ月をリード大学に費やした。

その彼が、ビートルズが好きだったから、リンゴを育てていたからという理由で「Apple」と名付けたと考えるにはあまりにも短絡的です。このようなバックボーンからも旧約聖書の「禁断の果実」から引用したと考えるのが筋でしょう。

旧約聖書では蛇に扮した悪魔に誘惑されリンゴを食べたアダムとイブは裸であることが恥と知り、局部をイチジクの葉で隠し無垢でなくなったアダムとイブは楽園を追放されます。

知恵の樹の実(リンゴ)を食べると、神々と等しき善悪の知識を得るとされています。

神々は知識を得ることを禁じ、無垢でいさせる事でアダムとイブを楽園に住まわせました。知識を与えない・教育をしない。考えさせない。それは完全なる従属を意味し、ペットや奴隷と同じ扱いです。

ペットや奴隷同然だったアダムとイブを解放した悪魔は本当に悪魔と言えるでしょうか?

「知る」という事は確かに残酷な事かもしれません。

  • 食卓にあがる美味しい肉がどのように作られているのか?
  • 子供を大学に入れるために親が怒られ、頭を下げ働く姿
  • 優雅に飲んでいるコーヒー豆がどのような人たちによって作られているのか?
  • 彼女が会社の上司とオフィスラブしている事

世の中には、知らなければ幸せなことはたくさんあります。知識を与えるという行為の重さを知る人であればその行為が「悪魔」であるという表現にも納得がいきます。

スティーブ・ジョブズ氏もその重さについては考えていた事でしょう。

コンピューターが一般人にも扱えるようになる事で、軍事力は飛躍的に向上し、犯罪もより巧妙化するという社会を。しかしそれ以上に信じたのかもしれません。善悪の知識を得た人がより良い生活を・未来を・平和を求める姿を。

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